自由になっていく

”自由”であることって、好きなときに好きなところにいく、好きなことをやる etc.
そういうことだとずっと思っていた。

実際に好きなことやってるし、わりと自由に生きている。
そう思ってはいるものの、でもどこかでそうではないモヤっとした想いがあることにも気づいていた。

ダイアモンドロゴスに出会ってワークを続けていくうちに、そのモヤっとしたものが何なのかがわかってきた。

どこに行くとか、何をするとかじゃないもっと根源的というか、もっとベースにあるもの。
ほんとうの意味で自由だと思い切れないのは、自分が自分にかけているたくさんの制限。
〜あるべき、こうでなきゃいけない、、、etc.
そういった、自分のなかで知らず識らずのうちに刷り込んできた正しさのようなものからの自由。
気づきながらも輪郭がみえてなかった自分が求めていた自由とはそういうことだったんだ!と気づかせてくれた。

”〜するべき、〜はこうあるべき”
常に自分のなかにある正しさやルールとして囁き掛けてくる内側の声。
心理学的には、超自我(スーパーエゴ)というそうです。
ダイアモンドロゴスに出会うまでは、その声を識別することすらできずにいた。
何かを思うこと、何かをすること、その度にスルっと、しかもオートマティックに入り込んでくる超自我からの声。

「〜そうしたほうがいい。そうするべきだ」
そしてエゴも「うん、そうだよね」とほぼ自動的にその声に従う。
それで仮に失敗したら「やっぱりお前はダメだ」「なんでそんなことしたんだ」と今度は徹底的にダメだししてくる。
超自我ってそういう存在。
とても馴染み深い、けれど愛のない内なる批判者。

日常ってそんなことの繰り返しなんだけど、少しずつ少しずつその声の存在に気づいて、待ったをかけられるようになってきた。(飲み込まれてしまうときもあるけど)

”セラピストならこうあるべき”とか、そんな立ち居振る舞いみたいことも。
ついつい考えたり、理想化したりしがちだけど、そういうことからもどんどん自由になっていく。

being to being.
クラニオバイオでもずっと学んでいることだけど、どこにいても、何をしていてもそれとのつながりを思い出させてくれる。

超自我のテーマはダイアモンドロゴスのワークのほんの一部。
だけど、超自我は誰にとってもとてつもなく大きなモンスター。

自分を制限するものからの自由。
自分のなかの正しさや信じ込みからの自由。
家族の中での立ち位置、友達同士でさえ無意識に自分の役割を決めていたりするけれど、そんなさまざまな役割からも自由になっていく。
ときにはものすごく勇気がいることだけど、その勇気というエッセンスとのつながりを体験を通して教えてくれるのもダイアモンドロゴス。

何者でもない、自分が自分であることを許していく。
その扉が開いた瞬間のとろけるような喜びは言葉で表現するのは難しいけれど、ほんとの自分に出会うってこういうことなんだろうな、と思う。

ダイアモンドロゴスは、エゴ心理学を知識としてだけではなく、カラダ・ハートを通して体感していく。
ボディワークをするうえでも、とても大きなサポートになっている。

☆ダイアモンドロゴス・ティーチングス
詳しい情報はオフィシャルサイトで。

こちらの動画もとても素敵なのでぜひ。

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