もうひとりの自分
からだはすっきりしているし、
気持ちも落ちているわけではないけれど、
内側の片隅にずっと”もやもや”がある。
”もやもや”の中身もその原因もわかってるし、
どうしたいのかも全部わかってる。
ただ、行動に移せないだけ。
ってこともわかってる。
なぜ、行動に移せないのか、
そんな自分をながめてる。
行動に移す勇気がない、
見ないふりをするいつもの自分のパターン、
そのもやもやへの執着、
それがなくなることへの不安、恐れ etc..
なくしたい、でもなくせない
そんな葛藤があるな、とか。。
ぐるぐるしながら、ながめてる。
そんなぐるぐるの様子を
じーっと静かに見つめている
もうひとりの自分の存在にも気づてる。
ちょっと意地悪にも感じる
その存在は、
いつもなにも言ってくれない。
ただ、みてるだけ。
優しい言葉もなければ
リソースとつながったときのような
ぬくもりや心地よさを感じることもない
どこまでも冷静で静かでクリアで
どんなことにも動じない
そんな究極のニュートラル。
”ちょっとくらい気持ちを後押しするような
言葉をくれたらいいのに”
といつも思ってたけど、
どんなときもニュートラルでいてくれることが
自分にとっての最大のサポート
ってことに気づいた。
どんな選択をしても
どんな失敗をしても
肯定も否定もせず変わらず
ずっとそばにいてくれる。
ほんとうの”慈悲”って
こういうことなのかもしれない。
小さいときから
その存在には気づいていたけど
それが何なのか認識できてなかった。
からだ(の感覚)を通して
つながってみたら
その存在の正体がくっきりしはじめた。
いちばん近くで
一瞬たりとも目をはなすことなく
ずっと”わたし”を見ている存在。
自分が自分であることを
思い出させてくれる存在。
ほんとうのわたしを
唯一知ってくれてる存在。
わたしの意識の真ん中にいつもある
もうひとりの自分。