セッション後のこころとからだとパンチャコーシャ

先週(木)〜(日)まで
クラニオコースでした。

4日間、たくさんの言葉を受け取って
たくさん触れて、触れてもらう4日間。

アシスタントでありながら
ずぶずぶと自分の深いところに
入ってしまうのはどうだろう?
と毎回思ってしまうけど、
からだはそんなことおかまいなしに
プロセスしてるし、
そんな自分をさらけだすのも
誰かの、何かのお役に立てることも
あるんじゃないか、と・・・
クラニオの神さまに許しを請うことに
しています♡

そんなコース開けに毎回感じるのは
からだもこころも
普段の数倍、繊細になっていること。

電車の音、人の話す声、
ジャッジや批判のような
ネガティブな言葉や視線にビビッとに
反応していたり、

一日たった今日も
自然の音や香り、見える景色や風の感じ、
一つひとつの輪郭がくっきりしていて
その全部をくまなく吸収していることを
実感します。

なんでもかんでもぜんぶ
”ゆるんで開いてるから入っちゃう”
みたいな感じでしょうか。

からだに触れたり、触れられることは
そのとき感じている以上に
すごいもんだなぁ・・と。

そんなときいつも思い出すのが
インドのウパニシャッドという聖典にある
パンチャマヤコーシャ。
(パンチャコーシャとも言います)

人間は5つの要素が層のように被さりながら
成り立っているというもの。

からだとこころの捉え方のようなもので
絵にするとマトリョーシカのような感じ。

いちばん大きな外側の層が
1。食べ物によってつくられた層

その次が
2。生気(エネルギー・プラーナ)によってつくられた層

真ん中が
3。こころによってつくられた層

その次は
4。知性によってつくられた層

いちばん奥深くにあるのが
5。至福・歓喜の層

内側にいけばいくほど
繊細で精妙な次元。

外側のからだや呼吸(プラーナ)は
食べ物やちょっとした刺激に
影響されやすいことがよくわかります。

食べたら太る(笑)、とか
走ったら呼吸が乱れる、とか。

ちなみに、
いちばん深い層の”至福・歓喜”は
何があっても変わらない、
失われることはない
と言われます。

ヨガでいえば、
いつでもどんなときも
こことつながって
至福の存在であることを忘れないために
アーサナや呼吸法、瞑想をする、

もしくは、
”それ”を知るために、
”それ”を体験するために、
ヨガをする。

そんな絶対的(プルシャ)な
資質。

わたしたちの本質は
”至福”、”歓喜”、”純粋な愛”、等々、、と
言われる所以がここにあるようです♡

パンチャコーシャで考えると、
こころを切り替えたい、
考え方を変えたい
そんなときも
いきなり深い層に向かうより、
外側からのほうがよりeasy
ということも理解できます。

ボディワーク受けたら
なぜか気持ちがすっきりしたり、
ときどき、
思わぬ気づきの芽がひょっこりと
顔を出したりするのも
パンチャコーシャでみると
わかりやすいメカニズム。

わたしも今回”思わぬ、ひょっこり”
がなんどかありました。

そんなふうに自分をながめてみると、
セッションをうけて
からだの層がゆるんでいるとき、
ほんの小さな刺激も内側の精妙なところに
響きやすくなっていることがわかります。

騒音、ネガティブな言葉や映像を遠ざけて
できるだけ自分に優しく、心地よい
環境に身を置くことはとても大切だな、と。

なので今日は犬とベタベタしながら
静かに自分にやさしく過ごそうと思います♡


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