カラダに従う
新しい朝の散歩コースの
愛宕神社からの富士山。
いつもは海から見てるけど、
街を通して見る富士山もきれい。
先月、新しい体験をしてから
カラダにもココロにも
めまぐるしくいろいろなことが起こっていて
気を抜くとまるごとどこかに
持っていかれそうになってる、
ことに気づいて
良くないなぁ・・と、思ってた。
でも、どこに持っていかれるのか
それはそれでそのまま流れてみればいいんだ
って富士山を眺めながら思った。
「起こっていることに善いも悪いもなくて
ただ、それが起こっているだけ」
何かが起こると、
それは良いこと?良くないこと?って
すぐにジャッジしようとするけれど、
起こっていることを
ただ観ていればいいんだと、
その言葉にすごく助けられてる。
カラダのインテリジェンスは
いつだって向かうべき方向に向かって
働いている。
そのことへの信頼があるから
それに従っていれば
いいんだなぁ。
波のようにゆらゆらしても
いつかは
凪のように穏やかに静かに広がっていく。
クラニオが
カラダを通して教えてくれること。