ようやく言葉になってきた

先日、終了したダイアモンドロゴス。
はじまりは、2020年2月のエニアグラムからだったから2年半の長い旅でした。
GWまったり過ごしながら、ゆっくりゆっくり振り返っています。

何かを”受講する”というと、技術や知識、資格をとるとか、誰かに何かを提供するため。
そういうのが一般的だと思うけれど、ダイアモンドロゴスは、ただひたすらいろいろな角度から自分を観ていく。エゴ心理学の構造が自分自身にどう作用しているのか、その向こう側に確かにある”自分のほんとう(エッセンス)に出会うプロセスを体験する”、そんな時間でした。

身体の探求もそうだけど、心の探求も終わりはありません。
自分自身に問いかけることをやり続けていると、ある時ふっと想像もしていなかったことが湧き上がってきたり、なんだか違う次元にすべりこんだような体験があったり。

閉じ込めていた感情の向こう側をみたときのメルトダウンしたようなハートの溶解やその後のカラダの空間の広がりとともに起こったどこまでも深い広がりのある静けさの体験は、言葉の表現を超えるものでした。

他の人にとっては簡単で当たり前のことだったとしても、他の誰かにとってはこの上なく特別で愛しいものだったりすることって本当にたくさんあるもので、気づいてなかった”自分のほんとう”を知ることは、そのことへの理解が深まるというか、自分も含めた一人ひとりの存在の深さと確かさのようなものに触れるというか。

言葉にするのは難しいけれど、固有でありながら、源は同じ。つまりはすべてがクラニオバイオ(そこにあるのは生命のダイナミズム)なんだな、と。

”体験が深ければ深いほどWordless(言葉にならないほどの感動)になる。
言語化できない体験がカラダの奥に、全身に浸透して、熟して、一部がまたゆっくりと浮かび上がってくるときにようやく言葉になる”

ロルファー:田畑さんのある日のツィッターに書かれていたこと(正確じゃないかもしれないけど、確かこういう言葉だった)。本当にその通りだな〜と思います。
ダイアモンドロゴスのリトリート中はずっとそうだった。一巡してようやく言語化できるようになってきました。

終了したとはいえゴールがあるわけでもないし、目に見えるような変化があったわけじゃないけれど、癒しってなんなのか、癒されるってどういうことなのか、ほんの少しかもしれないけれどわかってきたような気がするし、前よりもずっと何だか居心地の良い自分でいられているような気がしています。

次期のダイアモンドロゴスは今年11から。
ダイアモンドロゴス公式HP

またもや長くなりました。
のこり少ないGW、楽しみましょ。

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