カルマヨーガなクラニオバイオ
空気はひんやりだけど、日差しが暖かい大磯です。
最近、またバガヴァッドギーターを読み返しています。
東洋の聖書と言われるバガヴァッドギーター。
その時の気持ちや意識の状態で視点が変わるせいか、何回読んでもはじめて読んだかと思うような言葉に出会えます。
前半のほとんどはカルマヨーガについて書かれているんだけど、読むたびにクラニオバイオはカルマヨーガそのものだな〜と思います。
”結果への期待や執着、好き・嫌いから生まれるこだわり等、自分の思いを満たすためではなく、ダルマ(調和・秩序)に沿った行いをすること”
をカルマヨーガ(行いのヨーガ)といいます。
”ダルマに基づいて、自分の行いをイーシュバラ(全体世界)の秩序に捧げる。
決して何もしないということではない”
そんなようなことも書かれています。
何もしていないように見えるクラニオバイオもこれと同じ。
セッションでは”何もしない”わけではなくて、その人にとっての最適なバランス・調和が生まれるよう、生命エネルギーが向かう方向(秩序)に寄り添って、その力が最大限に発揮されるようサポートする、そんなようなことをしています。
クラニオバイオの心地よさは、(ざっくり言えば)カラダがゆるんで神経系が落ち着いて、深いリラクゼーシンが得られるからってこともあるけど、その深いリラクゼーションのベースになるのは、何かを矯正されることなく、そのまんまの状態のすべてを肯定的にみてもらえること、自分の内側に存在する神聖さを大切にしてもらえること。
だから、安心して子供のようにパカーンと開いて、時には宇宙に飛んでしまうくらいぐーぐー眠ることができる(笑)
そういうことなんだろうなぁと思います。
”この大いなる知識こそ
この世における無上の浄化力
ヨーガによって これを完成した人は
ただ内なる真我を楽しむ”(4章ー38)
難解な言葉の背景も少しずつ理解できるようになってきたけど、ほど遠い境地だなぁと遠い目になる今日もクラニオ。
良い週末になりますように。
わたしのお気に入りは
「神の詩ーバガヴァッド・ギーター」田中嫺玉(訳)