優しい手と自分自身に開いている、こと。
「自分自身に開いていてね」
先生のこの言葉に魅せられて、心がふるふるっとなって、「自分に開く」ってどういうことだろう?と考え続けているうちに、気づいたら3年経ち、クラニオバイオにどっぷり浸かってしまいました。
クラニオバイオのコースがはじまって2日目の練習セッションの途中、触れているわたしのなかで突然何かがぶわ〜っと腹の底のほうから湧き上がってきて、自分でも訳がわからないまま号泣。
(自分に何が起こっていたのか、今ならわかるけど、当時はまるっきりわからなかった^ ^)
そのとき、静かにわたしの横に座って、腿のうえにそっと手を置いて、しばらくしてからわたしに言ってくれた言葉でした。
その言葉が耳から溶けて染み渡るように入ってきたのと同時に、
「なんて優しい手なんだろう。」
と思いました。
わけわからない状態になっていた感情と体の震えがスーッと鎮まっていったことを今でも鮮明に覚えています。
それと同じようなことがつい先日にもありました。
ある話題をしている途中に、フツフツと怒りの感情が湧いてきて(わたし的にはこういうのちょっと珍しい)
言葉が止まらなくなってしまっていたとき。
何も言わずに背中にそっと手を置いてくれた方がいて、
なんて温かくて、なんて優しい手なんだろうと。
人の手ってほんとうにすごい力があるんだな、
自分はこんなふうに優しい手を差し出すことができるだろうか、
こんなふうに優しく柔らかい手で触れることができているだろうか、と。
しみじみ考えてしまいました。
2016年の春にコース受講が終わって、昨年からアシスタントに入らせてもらうようになって、ようやく、ほんの数ミリくらいかもしれないけれど、「自分自身に開く」その感じがわかってきたように思います。
それはいつも自分に意識的でないとできないし、程よい距離感がないとできない。
開いていることは、ときには辛かったり、傷ついたりすることもあるから、ぼやぼやしてるといつものパターンに速攻はまってしまうのだけど・・・
平たい言葉でいうと「自分に正直でいる」ってことなんだろうけど、なんかその一言でまとめてしまうと十分ではないような、もっと深くて温もりがあって、今ではその一言で自分とつながることができる、わたしにとってはクラニオと同じくらい大切な言葉です。
クラニオバイオのセッションや講座を通して、自分がお伝えしたいことは、そういうことのようです。
そのエッセンスの一端でもお伝えすることができたらいいなぁと日々思っています。